今日のいも

あっちはひとりごと、そっちは建前、こっちは考察

法律の何に反対するのか?

最近に限ったことではないと思うのだが、憲法だ法律だと騒がしい。最近なら集団的自衛権だとか、共謀罪だとか、さらには憲法改正だとか。

 

ここらの話に必ず伴ってくるのが「ここを変えると国はこんな悪いことができるようになる、絶対反対だ」、あるいは「いやそんなことはない、なぜお前は世のためになる案に反対するのだ」…しまいには「世の中を思って言っているのに、それにも反対するなんて何か後ろめたいことがあるに違いない」…

 

さすがに最後の言い方は暴論だと思うが*1、前2つはおそらくどちらも論理的な思考の結果として得られる。

 

ただし、論理的な思考の前提条件が全くもって異なっているだけの話である。

 

1. 「権力は常に刃物を持った殺人鬼である」

これは権力は必ず腐敗するという(歴史的な)事実に則り、権力はいつでも我々を脅し従属させようとし、殺すこともいとわないのだ、そういう性質なのだという考え方である。現に国民主権三権分立など、近代国家は必ずこれを前提として成り立っているように思う。

彼らが刃物を持っているなら、我々も相応の武器を持ち屈服させ、うまく利用してやろうということである。もちろん権力は絶大な利用価値を持つので、殺してしまうわけにもいかない。

これを例えば共謀罪の反対意見に当てはめると「刃物を持った殺人鬼にさらに刃物を渡すのか、そんなこと許せるはずがない」となる。ごもっともである。殺人鬼に少しでも武器になりそうなものを渡すべきではない。

 

2. 「権力は通常では優しいが、時に殺人鬼と化すこともある」

一見よさそうに見えたヒトラーが、いきなり本性を表して国民を弾圧した、我々は騙されたということも起こりうる、という考え方である。もちろんヒトラーである必要はなく、また国家全体で動く必要はない。例えば警察であるとか、普段は優しいけども悪いトップが組織を動かし始めたら危ない、という話である。

正直なところ、この前提に基づいた意見はほとんど見ない。なぜなら法律をその時々の権力に対して変えることはできないからである。ある首相が共謀罪の法案を成立させたとして、その次の首相が、共謀罪で人権を全力で侵害してくる人でも、その法律を即座に無効にする術はないからである。

 

3. 「権力は常に優しい、我々がコントロールできているからだ」

これは非常に簡単な話で、権力は暴走することがない、暴走したら辞めさせられるからだ、したがってどんな法律があっても正しく使うことしかできないのだから何でもいい、という考え方である。

したがって現状で法律がネックになり世の中をよくできないのならば、それを解消してやろうとなる。世の中をよくしようとしてやってるのになぜ反対するのか、という言葉はここから出てくる。

 

ここまで書いてきたが、要するに重要なのは権力を信用するかしないかである。

個人的な考えを言えば、共謀罪に関しては正当性を担保する絶対的な根拠が今のところ見受けられず、国連の報告者の指摘に対して根拠を示しての反論がないところを見るに行動に信用できる点がない。信用する点がない以上、権力の根本的性質から殺人者である可能性は否定できず、刃物を渡してもよい理由が見当たらないのである。

異なる意見に耳を傾けることは言うまでもなく重要ではあるのだが、それ以上に相手の立場に立ってその根拠を見つける、ということが求められると思う。

このような事例で根底から前提条件が違うのならば、条件としてより適切なものはどれかを考えなくてはならない。条件の判断基準としては、権力の普段の行動であるとか、もともとそれ自体が抱えている性質があると思う。それらを適切に組み合わせてこそ正しい回答が得られるのではないか。

*1:この「いいことをしようとしているのに、反対するなんて何か後ろめたいことがあるに違いない」という論理は、現実的には往々にして正しい気はするとはいえ、正義のためなら何でも許されるという結論を容易に導いてしまう。正義の反対は別の正義である。