今日のいも

あっちはひとりごと、そっちは建前、こっちは考察

奨学金のうんちゃら

こんなんみた

 

いやぁ、そうなんですけど、そうなんですけどね。書いてる人も本文中で「個人の責任に見えるかもしれない」って言ってるんで、まずは書いてる人の意図を読み取るのが先だと思いますね。

 

ここらの問題の本質は、学生っていう立場を利用して現状の返済能力以上の金を貸すって構造にあるわけで、もちろんそれで助かる人も多いとはいえあまりいい制度ではないですね。

当然ながらいい制度ではないので、一定数そこから踏み外してヤバいことになる人も、低確率ではあるけれども、母数が大きいので数で言えばそれなりにいるわけですね。

社会問題を語るときに割合を基準に考えて、何かを切り捨てる方向にいくのはその段階で間違っていて、というかそれって差別の肯定以外の何物でもないですね。

完全ではないけれども差をなるべくなくすような方向、例えば貧富の差は多少あってもしょうがないが、餓死凍死する人を無くそうって方向が最低限のルールですね。

 

 

とすればこんな最悪に不運な事例はできるだけ軽減する方向がいいですね。家族の問題とは言え返済能力を超えた借金が一助にはなっているので、社会問題を考える材料であることには変わりない。

ただ、直接学費無償化とか給付型奨学金の話につなげるのは遠すぎますが、この問題を解決する手段としては決して間違ってないですね。現実的でない解決手段の提示は、現実的な回答を求めている場合にのみ間違っていますが、この記事は解決を第一目標にしてるわけではないので、間違いではない。

しかも最底辺って現状の一番ヤバいところにハマった人たちなので、人並みな対策では救えないことも大アリで、根本対策ぐらいしか残ってないことも多い。

 

現実的でないことは一般に批判の理由にすべきではないし、本文中であえて書いてあることを追認するメリットもないですね。本文から何を考えるか、国語の問題の気分で読むといいと思います。