今日のいも

あっちはひとりごと、そっちは建前、こっちは考察

理想と現実の区別ができない人に未来はあるか

申し訳ないんですが、近年の日本の自衛隊関連の話で言うなら、南スーダンPKO近辺とか集団的自衛権やらで兵士を戦線に送り込む政府になっている傾向はあると思いますけどね、もっとも昔からあるスローガンではあるのですが。

 

 

さて、最近のTwitterを見ると安全保障過激派とでも言えばいいのか、そんなことを言っていても現実はこうだ、という言説、例えば「違憲であろうが、北朝鮮や中国の脅威は現実のものであるから、集団的自衛権は必要なのだ」という言説。

気持ちはわかるけれども、問題をごっちゃにしているようにしか見えない。安全保障は外交上の問題で、憲法は国内の問題でしかないからだ。

憲法に縛られて現実的な対応ができないのは問題だ、と言うのだが、では現実的な対応をし続けるとどうなるのか。

 

最悪の例としては、国家の根本的なルールを壊せることになる。現実に対応するためには憲法は無視してよいという考え方を根本に置くのだから、当然だ。

あとは一党独裁でも、人権侵害でも、魔女裁判でも何でもすればいい。

 

まぁもう少し「現実的な」話をすれば、何をどこまでやるべきか、やってよいのかが論理的に議論できなくなるだろう。

「現実に対応するためだ」と政府が言いさえすれば何でもできる、なぜならば誰も政府を縛ることができなくなるからだ。

憲法は戦後の長い期間でその解釈が固められてきたはずだが、その解釈は当然憲法の範囲内で考えられている。一箇所が破綻すれば、理論的かつ論理的な手順に従った解釈という数十年間の積み重ねは意味をなさなくなり、全ての新たな解釈はそれが新しいが故に無視することを容易にするだろう。

 

我々がやるべきことは理想と現実の釣り合いを取ることであって、理想を現実のために歪めることではない。なぜならば、少なくとも今の社会システムは理想が現実によって歪められることを仮定していないからだ。

憲法を超えた先にあるのは、非近代的な、あまりよくないとされる社会システムであり、過去の歴史の繰り返しでしかないのではないか。少なくとも、今の我々は過去を繰り返さない、繰り返さないと断言できる論理的な根拠をまだ得てはいないだろう。