今日のいも

あっちはひとりごと、そっちは建前、こっちは考察

「夫叩き」の正義

 

 

本日のツイッターランド。

 

僕が言おうとしてないこと

最初にここをはっきりさせておかなければいけない。

夫の愚痴を言うこと

言うなとは言わん。ていうか言わないとつらくなるだけだし、所詮生き物はすべて皆自己中なので、自分のことを棚に上げて他人の文句を言っちゃうのは†カルマ†だと思う。自由に言ってください。

シャンプーを入れ替えてくれたことに感謝したほうがよいこと

承認欲求は誰しもあるので、どうでもいいことを褒めてほしい。僕も褒めてほしい。僕、こんなにごはんたくさん食べて(横に)大きくなってるよ。えらいでしょ。

 

僕が言いたいこと

愚痴は愚痴でしかない

愚痴は言っていい。いくらでも言っていい。でも愚痴を他人への要求の理由に使ってはいけない。

元のツイートの人がどう思ってるかは知らんけど、もし夫に要求するつもりで言っているとしたら、気づくことが当たり前であると暗に主張しているのだとしたら、それは愚痴ではない。

要求には対価がなくてはいけない

愚痴でなくて、夫への主張、要求をするのであれば、一貫性がなければいけない。これは当たり前の話で、「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」は(一般的に)認められないし、要求を一方的にして何らかの対価を与えもしなければ、それはただの奴隷でしかない。

奴隷でないとすれば、それは何らかの対価があるということだから、「私はあなたにこうこうすることを要求する、代わりに私はこれこれをしてあげる」である必要があるだろう。もちろん家族であれば無償の奉仕という場面もあるだろうが、例えば暴力で屈服させ奉仕させることはいくら家族でも許されないだろうから、程度問題に過ぎない。

役割を強制することはすべきでない

要求には対価が必要、というのには抜け道があると思っている。何かと言えば、宗教の教義であるとか、道徳とか、常識とかである。これの使い方はこうだ: 「妻がシャンプーを詰め替えてくれたことに気づかないのは不道徳であ(り人間として劣ってい)る」。

もちろんこれが成り立つ例はたくさんある。人を殺さなかったからといって褒めてもらえるわけではないが、人を殺してはいけない。電車の中では通話をすべきではないが、電車以外なら通話料が安くなるわけではない。

しかしながら、夫婦間の関係にこれを導入することはできない。というか、夫叩きの根源にある気持ちは解消されることはなく、むしろ同じような感情を増やすことになるだろう。なぜならば、これを導入した場合夫はこう言うことができる: 「シャンプーを津詰め替えるのは妻として当然であり、それをしないのは不道徳であ(り人間として劣ってい)る」。これは明らかにジェンダーを根拠とする道徳であり、夫に一方的に欲求したい欲求とは真逆の結果を産むものだろう。

 

では僕はどうしてほしいのか

1つは「これは愚痴である」と明言することである。愚痴であれば何を言っても自由であるから、何を言ってもいいし、誰も何もしなくてよい。

もし愚痴ではなくて主張であるならば、日々夫が何をしてくれているかに気を配り、常に感謝していかなければいけない。これに例外はなく、あらゆることに気付いて感謝しなければいけない。なぜならば夫の「たまたま気づかなかっただけ」という言い訳を防ぐためである。あるいは、ジェンダーを論拠としない道徳として世の中に広めてもよい。

もしそんなことができないと思うのであれば、夫に何を言われても言い返せないだろう。もしそれでも感情的に言い返すのだとしたら、それも人生である。人間は自己中であるから、仕方がない。

しかし、もはやその段階では何をされても、本当に何をされても文句を言えないだろう。自分が自己中であるためには対価が必要であるから、相手も自己中であることを認める必要がある。自己中であるから、相手の都合など知ったことではなく、自分の優位な点をあらゆる面で利用し追いつめてくるだろう。(そういうの嫌いじゃないけど。終末もので生きるために殺しあう話とかおもしろいし…)

っていう話をしたんだけど、ぶっちゃけこれどんな話にも当てはまる。人間が正義を主張する時は何らかの反対勢力に対峙しているときで、正義のためには罪の意識を感じずに異教徒を殺したいとか、自分を抑圧する社会に対抗したい時とかである。つまり、正義は常に自分が不利な時に用いるものだ。自分が有利なら正義など持ち出さなくとも勝てるからだ。

この話の中で現実的な解決策は2つしか出ていない。愚痴として自分のわがままであると自分で認めるか、あるいは「道徳」であるとして叩くことだ。しかし後者は前に述べた通り、間違った論拠を用いて行うと恐ろしく威力のあるブーメランが飛んでくる。ここで使うべきは正義だ。ブーメランが飛んでこないよう、正義でぶちのめすしかない。せめて正義を貫き通してくれ。正義のヒーローみたいに、真の正義とは何か悩み続けてくれ。