今日のいも

あっちはひとりごと、そっちは建前、こっちは考察

「幸色の〜」を始めとする、犯罪表現に対する批判への反論(1) 批判の程度について

 

 

最近の表現の自由界隈における炎上事案のまとめみたいな話をする。

 

対象事案

今回まとめに入れたい作品(と炎上事案)はこれ

幸色のワンルーム

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る - Togetter

万引き家族

『万引き家族』は観てないけど犯罪を正当化してるから最低、と主張する人達+α - Togetter

ゆらぎ荘の幽奈さん

「ゆらぎ荘の幽奈さん」(週刊少年ジャンプNo.31 巻頭カラー)炎上問題/まとめのまとめ - Togetter

のうりん(ただしポスター)

「のうりん」ポスターは女性差別なのか - Togetter

日向市PR動画

太田啓子弁護士、日向市のPR動画を絶賛 ← デブやインドア派差別だと批判殺到 - Togetter

女性エンジニアがいるとやる気出る

 

なんか論点めちゃ多いので、分割してやっていきたい。

 

私人間の「表現の自由」をどうとらえるべきか

表現の自由」という言葉は日本国憲法第21条に示され、非常に一般的な概念である。しかしながら、「表現の自由」はあくまで憲法の記載であるから、私人間、例えば(レガシー)メディア、出版社、さらには同人誌といった媒体で発表される表現に対して国家権力でない人が抗議し圧力をかけること*1が行われることがある。

これらの問題における論点の1つとして、過剰な抗議は表現活動全般を萎縮させかねず、不適切ではないかというものがある。自主規制という名目で少しでも批判される要素がある表現をしなくなる、できなくなるということだ。

それに対して、憲法はあくまで国家と国民の関係を定義するものであるから、私人がどのような抗議をしてもいいのではという主張がある。これを全面的に採用できるかといえば全くそんなことはない*2

【悲報】ハヤブサくん、「民間同士の言論弾圧ならやっていい」と言ってしまう - Togetter

批判されるポイントはだいたいここにまとまっている。つまり両方に批判する権利はあるが、実力行使の程度は考えなくてはいけないということだ。

 

私はこれに対して、放送中止、販売中止に追い込むのは行き過ぎだと考える。作品がどのようなものであっても、世の中に出すことが決定されているものを中止させるのはあまりに影響が大きい。

ドラマの製作費、マンガであれば漫画家の収入と言った経済活動にまで介入してしまっては会社や作家の生活、さらには人生を変えてしまう。人生を変えられる覚悟をもって、しかもこんなどうでもいい、傷つける対象が大雑把な*3表現に人生をかける人などいるはずがない。人生をかけないといけないとしたら、それは決して健全な社会ではない*4

我々がある表現を批判するとしたら、その現在存在する表現ではなく、これから生まれる表現が不適切でなくなるようにする、次がないようにする働きかけがいいところではないだろうか。

 

ただし、「傷つける対象が大雑把」な表現については少し掘り下げなくてはいけない。例えばヘイトスピーチが今話題であるが、そのような多数の人間を少しずつ傷つける表現に対して社会はあまり有効な手段を持っていない。

定性的な話になってしまうが、(1人あたりの被害)×(人数)を被害の総量とおくことにする。この1人あたりの被害というのは物理的、精神的な被害の両方を含む。例えば1人あたりの被害が大きく、人数が少ない行動の代表例は殺人だ。逆に1人あたりの被害が小さく、人数が多い行動は人種差別、性差別、公害などである。前者は犯罪という形で現れるため対処しやすいが、後者は具体的な被害を産みづらく対処しづらい。後者のような問題に対する対処法は近年頻繁に議論されているところであり、別に考察する必要がある。

*1:国歌による表現の自由の抑圧という過程では、検閲と暴力による直接的な行動以外にも、間接的な対処(違法サイトのブロッキングなどにおける民間へのお願い)が問題になることがあるので、圧力を含めてもいいだろう

*2:表現の自由の問題ではなく、倫理的問題として

*3:具体的な被害者が存在しないという意味で。

*4:蟹工船かよ